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京都 百合奈,京都 杏子SS

Last-modified: 2009-06-14 (日) 13:32:26 (5428d)

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迷いの竹林から人里へと続く、荒れた道。そんな、暗い暗い夜道で、三つの人影が動いている。
「しかし、ただの風邪で良かったなぁ。突然高熱出したから何事かと思ったよ」
「本当ですわね……」
三つの内一番背の高い人影の声に、次に高い人影が答える。一番小さな影は、テクテク歩いていた足を止め、後ろにいた二つに聞く。その声からして、どうやら少女のようだ。
「お父しゃん、杏子は治るの?」
「あぁ、治るとも。明日の夜には全快だってお医者様も言ってたしな」
答えた大柄な男――おそらく父親だろう――の腕には、幼子が抱きかかえられていた。少女が「杏子」と呼んだのは、おそらくこの幼子の事であろう。
「でも……お父様、本当に自警団の方に着いて来てもらわなくて大丈夫だったんですか?」
男の隣にいた女――つまり、男の妻だ――が、心底心配そうに問い掛ける。両サイドを高い木で囲まれたこの道は、妖怪達にとっては絶好の狩場なのだ。
男は僅か心配そうな顔をしたが、明るい声で答える。
「大丈夫だよ。もうすぐ里に着くし、それにあっちの急患の方が大事だろう?」
彼らが竹林から出て来た直後、一人の女性が子供を抱きかかえて走って来た。困っていた自警団の少女に、その親子連れを護衛するよう男は言ったのだ。
「確かに、あのお二人は自警団の方がいないとお医者様のところまで行けませんしね」
そう女が言った時、不意に木々がざわめき始めた。葉が擦れ合う不気味な音に、少女が震える。
「お母しゃん、怖いよぉ……」
「そうね、早く帰りま――キャアッ!」
言いかけた女の背中に、突如何かが降って来た。悲鳴を上げ倒れこむ女。
「どうし――グアッ!」
悲鳴に振り向いた男にも、同様に何かが降り注ぐ。
「お父しゃん!? お母しゃん!?」
驚く少女の目に飛び込んだのは、一瞬前の談笑が嘘のような、恐るべき光景だった。
母親の背中には何者かが覆い被さっていて、その爪が掠めた首筋からは僅か鮮血が滲んでいる。父親は間一髪で襲撃を避けたものの、足に大きな引っ掻き傷を負って、倒れこんでいた。その横には、勢い余って地面に爪を突き立てている、何者かがいた。
父親の横に立ち、母親の背中に覆い被さっているのは異形の怪物――妖怪だった。
どうやら妖怪は二匹だけらしく、幸い少女は無事でいた。が、その目は恐怖でいっぱいに見開かれている。
「百合奈!」
男が少女の名を呼ぶ。百合奈と呼ばれた少女は我に返ったように声の元へと走った。
「百合奈! 杏子を連れて早く逃げろ!」
「でも、お父しゃんとお母しゃんが!」
戸惑う百合奈に、男はなお叫ぶ。
「里に帰れば慧音さんがいる、助けを……あいつが動き出す前に、早く!」
指差した先には、全力で爪を引き抜こうとする妖怪の姿があった。爪は殆ど抜け切っていて、猶予は残されていなかった。
「百合奈、早く!」
「ぅ……うぅ……うわぁぁぁぁん!!」
百合奈は杏子を抱え、計り知れない恐怖に大声で泣き叫びながら、帰り道を無我夢中で駆けだした。






「うぅぅ……ヒック……」
一体どれくらい走っただろうか。今どこを走っているのか。
そんな事も考えられぬまま、百合奈はひたすらに走り続ける。涙で視界は殆ど無かったが、それでもなお止まらずに走り続ける。
と、その時。
ドカッ!
「キャア!」
「うわっ! ……っと、大丈夫か!?」
前も見えずに走っていた百合奈が、木陰から出て来た女性と衝突してしまった。杏子を抱いたまま一方的に吹っ飛んだ百合奈に驚き、その人物は慌てて駆け寄る。
「大丈夫か……って、子供が何故このような時間に?」
女性の当然の疑問に、百合奈はたどたどしく答える。
「妖怪が……ヒック、妖怪に……」
「妖怪に……襲われたのか!?」
女性が顔面蒼白で言う。百合奈は頷き、なおも続けた。
「慧音さんに……助けを呼べって……」
「慧音は私だ。急ごう、案内してくれ!」
慧音と名乗るその女性に抱えられ、百合奈は今来た道を戻った。






「妖気が濃い……ここか!?」
角を曲がって正面を見据えた慧音が、その光景に思わず目を背ける。
数刻前談笑を交わしていた一家が襲われたその場所には、見るも無残な光景が広がっていた。
辺りに漂う血の臭い。巨大な血溜りが一つと、地面に付いたおびただしい量の血糊。血糊の端点には、何かが突き刺さったような細く大きな穴があった。
血溜りの中心にある死体は、半ば原形を留めていなかった。喰い荒らされた顔、首、背中。血を吸って真紅に染まった長い髪とスカートが、その死体が女性であることを辛うじて示していた。
血糊を辿って行った先にある死体は、まだそれほど喰われてはいなかった。だが胸や腹には無数の刺し傷がある。おそらく、何度も刺されながら死なず、這って逃げようとしたのだろう。
慧音をして目を逸らしたくなるほどの凄惨な光景に、しかし百合奈は立ち止まることなく、まず母親へ、そして父親へと近づいて行った。
父親の、戦慄し苦痛に歪んだ表情をまじまじと眺める。逃げる事敵わず貫かれた心臓部に触れると、彼の生温かい鮮血がその手を紅に染めた。血に濡れた手を見つめた百合奈が、
「……アアアアアァァァ!!!」
不意に絶叫し、そして気を失った。






「うぅ……う……ハッ!」
百合奈がガバリと跳ね起きる。心臓は激しく波打ち、体は寝汗でビッショリと濡れていた。
「ハァ、ハァ……また、この夢……」
あの忌まわしき事件から早十年。十五歳になった百合奈はしかし今もなお、あの時の最悪の経験(トラウマ)を夢に見る程に、苦しめられていた。
あの後、両親を失った二人は、慧音の計らいにより人里であんみつ屋を切り盛りしている老夫婦の元に養子縁組をした。
子供の無かった老夫婦は、ひ孫ほども差のある二人の子供を、実の子供のように大切に扱い、可愛がった。
老夫婦には寺子屋に行く金が工面出来なかったが、慧音の取り計らいにより特別に通える事になり(そもそも、殆ど金を取っていなかったのではあるが)、百合奈は三年前無事に卒業、杏子も今年卒業を迎える。
そして百合奈は今、老夫婦のあんみつ屋で手伝いをしながら、興味を持った幻想郷の歴史について、より深く勉強しようとしていた。
「……眠れない」
悪夢にうなされたせいで目が冴えてしまった百合奈は、外の空気を吸おうと庭に出た。空は雲一つ無い快晴で、たくさんの星で埋め尽くされていた。さらに今宵は満月と、これ以上無いほどに綺麗な夜空だった。
「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
何度か深呼吸すると動機も収まって来た。涼しい夜風が、寝汗で濡れた体に吹き付ける。
「クシュン!……風邪引いちゃうし、もう戻ろうかな……」
そう呟き、踵を返そうとした彼女の目に、一つの人影が飛び込んで来た。
それは、一見すれば人里の守護者・上白沢慧音の姿であった。だが、日頃から会いに行っている百合奈の目には、それが慧音では無いようにも見えた。
いつも着ている紺色の服は、今夜に限って何故か緑色だった。頭の上とお尻の方には何か余計なものが付いているようにも見えるが、遠いせいで良く見えない。
半信半疑のまま、百合奈はとりあえず呼びかけて見る事にした。
「慧音先生……?」
その人物は呼びかけに振り向き、呼びかけた百合奈の方へと駆け出す。
「あぁ、やっぱり慧音先生だっ――!?」
何かに安堵して慧音に話しかけようとした百合奈の声が、中途で止まる。百合奈の元へ向かっていた慧音の足もまた、中途で止まる。
「けい……ね、せんせ……」
慧音の頭に付いていたのは、二本の角だった。慧音のお尻に付いていたのは、幾本もの尻尾だった。
「ゆ、百合奈、違うんだ。これは……」
顔を真っ青にした慧音が百合奈に話しかける、が百合奈はもう何も聞こえていないようだった。
「う、う、うわああああああ!!!」
深夜の人里に絶叫が響く。走り去る悲鳴に一人取り残された慧音が、ぺたんとその場に座り込んだ。






あんなに優しくしてくれた慧音が、実は妖怪だった。その事実は百合奈の心に大きな傷をつけた。
いや、それ以上に彼女を傷つけたのは、その驚くべき事実を、自分と杏子以外の殆ど全ての人間がとうの昔から知っていた、と言う事であった。
慧音自身も、老夫婦も、寺子屋の友人たちも、店に来るお客さんたちも、その誰もが知っていて、その誰もが教えてくれなかった。
そんな悲し過ぎる事実に、百合奈は酷く傷つき、そして熱を出して寝込んでしまった。
寝込んでしまった百合奈だったが、老夫婦の看病も、慧音や友人たちの見舞いもその一切を拒絶し、突き放した。
心を固く閉ざした百合奈に近寄れたのは唯一、妹の杏子だけであった。
数日して熱は下がり、普通に食事も出来るようになった。しかし、食卓に出て来ることは少なく、出て来ても「いただきます」と「ごちそうさま」以外には一言も喋らぬまま、早々に食べ終わって部屋に篭ってしまう、という状況だった。
店に出て来なくなった百合奈を客たちも心配したが、心配や同情が重なるほど、その全てを撥ねつけ、百合奈は強固な心の殻へと閉じこもるばかりだった。
店は活気を失い、伝染するように里全体が活気を失って行く。そんな状況が数週間に渡って続いた、ある日。
「お姉ちゃん、入るよー?」
杏子が、百合奈の分の夕飯を持って部屋へと訪れた。
「ありがと」
一言で返答する百合奈に、杏子は続ける。
「今日は私もここで食べたいんだけど、いい?」
「……別に、いいわよ」
百合奈は覇気の無い声でそう呟いた。






「……ねぇ、お姉ちゃん?」
「なぁに」
しばらく無言で箸を進めていた二人。先に沈黙を破ったのは杏子の方だった。
「まだ……怒ってるの?」
「…………」
「本当に、申し訳ないと思ってるって……言ってたよ」
あえて主語を省く杏子にイライラしながら、百合奈は無言を貫く。
「確かに慧音先生が……人間じゃなかったって知った時は、私もすっごく驚いたよ。でも……でも……」
「…………」
なおも無言を貫き続ける百合奈の剣幕に尻すぼみになって行く杏子の言葉。杏子は頭を振ると、言い直した。
「でも、慧音先生が、私たちを助けてくれた事は変わらないでしょ?」
「…………」
必死の訴えにも無反応な百合奈に、杏子のボルテージは上がっていく。
「慧音先生は確かに人間じゃなかった、けど……!」
「……じゃあ」
ずっと口を閉ざしていた百合奈が、低い声で呟く。そして立ち上がると、叫んだ。
「じゃあ、何で教えてくれなかったのよ! ずっと優しくしてくれて、でも妖怪で、教えてくれなくて! もう何も信じられないよ!!」
百合奈の大声に気圧され、杏子は一気に縮こまる。
「そ、それは……」
「それは……君に嫌われたくなかったからだ」
突然襖の外から声がして、百合奈も杏子も飛び上がった。程なく襖を開けて来たのは、紛れも無く上白沢慧音その人だった。その奥には老夫婦が、申し訳なさそうな目で姉妹を見つめていた。
「全て、私が悪いんだ……」
そう言って、慧音は話し始めた。立ちあがっていた百合奈も、力が抜けたように座り込む。
「事件直後の百合奈は、妖怪と言う存在に親を殺され……妖怪を憎み、怖がっていた。そんな時に、『私も妖獣だ』なんて言ったら、間違いなくパニックを起こしてしまうだろう、と思ったんだ」
百合奈も杏子も、その話に耳を傾ける。
「だから、私は百合奈の心がある程度安定した頃に……寺子屋を卒業する時に、打ち明けようと思っていたんだ。でも……」
そこで言葉を一旦切り、そして慧音は、昔の自分を責めるように、言葉を続けた。
「それを打ち明けて、君に嫌われたり、怖がられたりするのではないか……と考えだしたら、言えなくなってしまったんだ」
そこでまた言葉を切ると、慧音は百合奈の方をまっすぐ見据えた。百合奈もまた、慧音の方を見た。
「真実を言ってしまったら、今のように心を閉ざしてしまうのではないかと恐れて……いつかはこうなるとわかってたのに、先延ばしにして……
里のみんなにこの事を伝えるなと言っていたのも私だ。だから、お二人は……」
言いかけた慧音を老夫婦が否定した。
「いえ、我々も結局同じ事を考えていたのですから、慧音様だけのせいでは無いのです……」
「とにかく、全てが私の……私達のエゴだ。本当に、済まなかった」
そう言って、慧音は深々と頭を下げた。後ろでは老夫婦も、同様に頭を下げていた。
「……お姉ちゃん」
杏子がそっと呼びかける。百合奈は溢れ出る涙を拭うと、呟いた。
「みんな、私の事考えてくれてたのに……私は……」
「いや、結局は自分の事を――」
「うぅん。それでも、私の事を考えてくれてた……なのに私は」
百合奈は体ごとしっかり慧音たちに向き直ると、立ち上がって慧音と老夫婦に礼をした。
「本当にごめんなさい……そしてもしよければ、これからもよろしくお願いします……慧音先生、お爺さん、お婆さん」
老夫婦が涙を零した。慧音もまた頬を伝う涙を拭いながら、言葉を返す。
「ありがとう……百合奈」






数日後。
「いらっしゃいませ!」
店には、再び活気が戻っていた。言うまでも無く、百合奈が仕事に復帰したからだ。
「杏子ー、特製京あんみつ三つー!」
「おっけー!」
百合奈がどこか楽しげな声で注文を伝える。杏子もいつもの数倍は嬉しそうな声で答える。
そんな姉妹のやり取りに、客たちも自然と幸せな気持ちになって行く。
百合奈の妖怪嫌いが治ったわけではない。だが、慧音が妖怪だという事実を受け入れた百合奈は、それまで以上に慧音を慕うようになっていた。
慧音も、長きに渡って背負っていた重荷を取り去ることが出来て嬉しいのか、頻繁に店に来ては百合奈や杏子と色々な話をして行く。
百合奈はふと、両親の事を思い出す。それはあまりにも悲しい出来事だったが、それを乗り越えたことで今はこんなに幸せに過ごせている。
もしあそこで妖怪が私を狙っていたら、父さんが呆然とする私に声を掛けてくれなかったら。
そう思い、心の中で小さく、お礼をした百合奈であった。






今日も、百合奈の声が店に響く。この、人里でも最も有名となったあんみつ屋に、四人の騒々しい客が来るのは、もう少し未来の話である。
「いらっしゃいませー!」










Fin.

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